EXPERIENCE
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- 事務所の沿革と実績
- 嘉村孝は、1974年(昭和49年)司法試験合格。
東京での司法修習生を経たのち、1975年(昭和50年)裁判官任官。
主として刑事・労働事件等を担当。
1983年(昭和58年)退官し弁護士登録(佐々木秀雄法律事務所)。
2年間勤務したのち独立し、1985年(昭和60年)嘉村孝法律事務所(現アーバントリー法律事務所)を開設しました。
以後、主として民事事件を担当し、保険・電気・サービス・小売等の会社役員を兼ね、また、独立行政法人の合同入札監視委員、自治体の情報公開個人情報保護審査会会長、司法試験考査委員などを歴任しました。
事務所の担当案件としては、渉外、特に投資案件や、外国人の在留資格にかかる訴訟事件、自治体等の代理人としての行政事件などが特徴的ですが、不動産、相続、その他家族法も担当します。
本来、実績や成功例は挙げたくないのですが、収賄事件における無罪事件をはじめ、民事刑事を問わず、幅広く受任しています。
2004年(平成16年)、劉得寬教授の加入とともに事務所名をアジアパシフィックとの連携に合せ、また農業法関係の仕事も多いことから、「アーバントリー法律事務所(アーバンとカントリー)」と変更しました。
そして2023年、司法研修所の同期・同クラスで、若き日の2年間様々な経験を共有した親友・木口信之裁判官が、公証人や 学習院大学法科大学院特別招聘教授、財務省関税等不服審査会委員などを経て我が事務所に弁護士登録する運びとなりました。
まだまだ若い彼とは一緒に仕事をすることも大いに考えられます。私共々よろしくお願い致します。
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- 「みちしば」よりプロフィール対談
- 『葉隠』との出会い
―― ご出身はどちらですか。どんなところですか?
嘉村 佐賀県と福岡県との境にある山村です。
昔は、林業、木炭、米などが主たる産業でしたが、今や先覚的な人々によって、りんご、ブルーベリー、ハーブ、米の粉など様々な産品が生み出されていて、NHK、全日空機内誌、新聞などマスメディアにも度々登場しています。
―― 学生の頃は何に興味をもって勉強をされていたのでしょうか?
嘉村 理科系もきらいではなかったのですが、中学一年生の時に、江戸時代中期に佐賀県で生まれた『葉隠』といういわゆる「武士道書」を読み出して以来、歴史や古典に興味を持つようになったため、そんな本の乱読をし、一方高校、大学では、ベトナム戦争や文化大革命など、政治的に相当揉めた時代であったので、そういった本を読みながら、高一の時から生徒会長をやっていました。つまり、「勉強」は適当です。
法曹界への契機
―― 法曹界に入られたきっかけはなんでしょうか?
嘉村 そんなわけで、歴史や政治の根源を究める学者か研究者の道に進みたいと思っていたのですが、いざ、入試という段階になってから、行きたいと思った大学の入試が中止になってしまいました。
そうなると父から「つぶし」の利く法学部を選べと言われ、いやいや法学部に入り、ストライキとロックアウトで二年間しか授業はなかったのですが、こ
の間、高校の恩師で、有名な刑法学者である草野豹一郎先生のご子息草野睿三先生(彫塑家・日展無鑑査)から司法試験を受けるよう勧められ、結局法律家になってしまったというわけです。
―― 法曹界で関心を持っておられることは何でしょうか?
嘉村 私は、現在私たちが行っている法律の運用も、歴史の層(layer)から見れば、最上層に位置している一つの層だと思います。それは下層の文化を受け継ぎ、あるいはその残滓をからめて運用されているものです。
この考えは、友人の大村幸弘先生が、トルコにおける遺跡発掘をもとにして書かれている 『アナトリア発掘記』からヒントを得たものですが、そのよう
な最上層において新しい法律という「枠組み」を作っていく仕事であることを踏まえると、過去をしっかり探究して、より良い最上層の法の枠組みを作って
いかねばならないのではないかと思っています。私自身、カマンカレホユックのその場所に立ち、そんな思いを強くしました。
それが本当のコンプライアンスかと思います。
『葉隠』に寄せる思い
―― 『葉隠』についての思いを話していただけますか?
嘉村 上記『葉隠』は、1716年(享保元年)に佐賀藩において成立した本ですが、誰か一人の作品というよりも、山本常朝という人のしゃべった話と、田代陣基という人がかき集めた様々なエピソードの集成といってもよいものです。つまりは、これといった体系があるわけではなく、徒然草によく似たスタイルの本ですので、その一つ一つの話しの奥を訪ねていけば、いつまで経ってもこれにかかわる話しは尽きないのです。
そして、そうしたことを探求するのは、先ほどのlayerの下部を探ることにもなるので、単なる趣味の城を超えた有用な作業ではないかと思っています。
日本中、世界中を旅して
―― 日本全国、世界各国を訪問されていますが、印象的な場所はどちらでしょうか?
嘉村 確かに仕事や趣味やお付き合いで旅行は多いです。これは、「人に会うこと、旅行をすること、本を読むこと」の一環ということでしょうか。
印象的な場所と言いますと、あらゆるところが印象的ですが、やはり自分のlayerをしっかりと見つめるためには、アジア諸国、特に中国の存在は無視できないと思っています。
一方、近世以来、日本という国が、ポルトガルとスペインとによる世界分割(サラゴサ条約)のちょうど中間に位置していたという位置関係をみるならば、 東にある小さな太平洋諸国も無視できません。
こうして、グローバルな視点を益々磨いてくれるのが旅行でして、特に、生れた土地である九州は中国、韓国、そしてポルトガル、スペインいずれとも深いかかわりを持っており、幸せなことです。
そうした中で最も印象的な場所はと言えば、初めて外国に行ったグアムで乗ったタクシーの中で、運転手さんが「ウチのジャッジは酒飲みでね」と、日本では考えられないことを言ったこと、北京の明の十三陵の形が水戸、会津の君主の墓とそっくりでショックを受けたこと、戒厳令解除の後初めて台湾に渡り、子供の時から文通していたKさんに会ったこと…などなどです。